ある会議に出かけた時のこと。
こんな発言が会議室を席巻した(大げさに聞こえるかもしれないが、まさに席巻したという感じだったのだ)。
「とにかくUXですよ、UX。UXよくすることが勝ち筋。」
会議室の面々はめいめいの意見を含ませた顔ではあるが、大きく何度も頷く。「そうですね」とはっきりした声で同意する者もいる。
その会ではそれ以降、UXという言葉が頻発。丁丁発止の内に定刻となり、参加者の充実した表情とともにおひらきとなった。
ただし何も決まらなかったが。
彼らの言うUXとは何か?
優れた知性と実績、そして肩書を持つメンバーだったが、その場にいた人間のうちUXデザインの専門家は自分だけだった。
だが、UXの言葉を発し、および頷いたのは、経営のプロとマーケティングのプロだった。彼らは何を「UX」と呼んだのだろうか?
その時点で分かっていたことは、ビジュアルデザインのことではないらしいことだ。これは我々UXの専門家にとっては幸いな理解だ。
むしろもっと広義・広い領域の色々なことを包括的に指す便利な言葉として使われている。
会議のコンテクストから鑑みるに、少なくとも次の2つが「UX」に含まれていた。
話題になりそうなマーケティングキャンペーンの切り口
利用シーンに沿う機能
だが別の会社・別の会議では、また違っていた。
サービスの課題を解決するのもUX?
別の日。
その日の仕事のほとんどを終えた、日も沈もうかという時刻。私は、取り付けた憶えの無い予定がカレンダーに入っていることに気がついた。
時間の確認とアジェンダ共有の依頼をSlackで流しつつ、指定の会議室へと足を運んだ。
主催者以外が会議室に入って20分後(余談だが、遅刻の連絡もアジェンダの共有も無いことに私は不信感を覚えた。同社では似たようなことがままあり、それがまかり通っていることを後で知った。)、遅刻したことに対する謝意を表しながら入室してきたのは、あるサービスの新しいプロダクトオーナーだ。
アイスブレークもそこそこに本題に入ると、彼はこう言った。
「今回のリニューアルは、3年後の売り上げ目標を達成するためのものです。今はサービス内の色んな箇所のUXが悪い。リニューアルでまずは競合サービスに並ぶ機能を実装して、その後マーケティング予算を増やす予定です」
この会議の議題はサービス全体のリニューアルだった。
彼の話によると、同サービスで悪い箇所とは例えば次のようなものだ。
UIが古くて使いにくい
強力なコンテンツが無い
利用を便利にする機能が少ない
使いにくい
通知等のインタラクティブ性が無い
購入プランが複雑で分かりづらい
ベネフィットがサービス内で充分訴求されていない
コンテンツを素早くリリース出来る状態になっていない
使いにくい
とにかく使いにくい
当たり前のことが出来ないサービスに苛立っている内心が伝わってきたが、ともかくも、裏から表まで全ての役職の協力が不可欠な内容だった。
そしてこれら全てが「UX」という言葉でまとめられていたのだ(上記のリストの大半は、実は後のヒアリングで判明した)。
誰もが、自分が寄与することで勝利したい
これらの例を含め、ここ半年ほどでUXという言葉が登場した会議や発した人のインサイトをまとめた。
その中で、彼らがなぜUXという言葉を使うのかについてのインサイトが判明した。インサイトは大きく分けて3つある。
自分の意思通りに施策を打ちたい
成功に寄与したい
ユーザーにとってイケてるものでなければ勝ち残れない
つまり、誰もが自身の勝利を望んでいる。あるいは、自分が寄与することによる勝利を望んでいた。
自分とその知識やノウハウが寄与することでサービスが「イケてる」ものになり、イケてるサービスであることで群雄割拠の市場で勝利したいと願っている。
その表象がUXという言葉として表れる。
寄与の触媒として使われる「UX」
UXは非常に広い意味を持つ言葉だ。サービスに関わるほぼすべての領域を包含している。顧客がいる限り、ユーザー体験は生まれる。
だから、彼らは自分が寄与するチャンスを「UX」に見出す。
一見関係無い・優先順位の低いように見える事柄も「UX」を通すとフレームインしてくる。まるで魚眼レンズだ。
例えば先述の例に挙げた2つの言葉は、次のように言い換えることができる。これが彼らの本当のメッセージだ。
UXを良くすることが勝ち筋 = 自分が寄与すれば勝てる可能性が上がります
今はサービス内の色んな箇所のUXが悪い = 今は自分が寄与してもインパクトが小さいから勝てる可能性が低いです
誰もが自分の領域を過大評価しがちだ。経営・マーケティング・経理・マーチャンダイズ・製造・ロジスティクス・セールス…。もちろんUXデザインの人間も例外ではない。
自分の持っている知識・才能・人脈・実績・etc…。それらが多くの場面で大きなインパクトをもたらすと信じている。
彼らがUXという言葉を使う時、それは自分が寄与するチャンスを窺っていることを意味する。あるいは、自分が寄与していること(あるいはしていないこと)に対するポジショントークかもしれない。
より端的に表すならば、自信の表れだ。
彼らはこう言いたいのだ。
「具体的な案はあとで考えるが、自分なら貢献できるに違いない」