SaaS企業ならではのUXリサーチ戦略。CSがいるから出来ること。
多くのSaaS企業では、カスタマーサクセスという役割もしくは役職があります。そこで行われる商談やミーティングの発話は宝の山。それらの多くをデータとしてストックし、常に切片化。これを繰り返すだけでSaaS企業でアトミックリサーチを実現できます。このシンプルで強力なワークフローをシェアします。
UXリサーチが一般化し始めてしばらく経ちますが、toB SaaS企業でのUXリサーチを戦略的に進めることについては案外情報が転がっていないようです。
会社の戦略にUXリサーチがどう寄与するか、どう役立てるかという話や個別の手法についての情報は転がっているのですが、UXリサーチ自体の戦略はさほど語られません。
理由は色々心当たりがありますが、まずマクロには、そもそもtoB SaaS企業自体が国内にそれほど多くなく市場規模も想像より小さいからかもしれません。1 2
しかしながら成長分野であるSaaS企業でのUXリサーチは、新たな機会発見や解決しなければならない問題が次々に溢れ、退屈せず楽しいものです。
みな色々な事情がありますから、このテーマについて遠慮なく発信できるのはしがらみの無いフリーのUXリサーチャーである自分くらいかもしれないと思い、シンプルながら強力なワークフローをシェアします。
より多くの人がSaaSにおけるUXリサーチに興味を持ったり、既にSaaS企業に務めていてUXリサーチを行いたい人の参考になればと思います。
リサーチ戦略
リサーチ手法の種別
この話の前提には、UXリサーチ手法の種別へのある考え方があります。
“UXリサーチ手法の種別”というと、よく言われるのは質的調査/量的調査 という分け方です。が、これは単純すぎるカテゴライズです。初学者が手法を理解するためには有用ですが、リサーチ戦略を検討する上ではさほど参考になりません。
どんなリサーチが戦略的かを考えるためにより有用な種別は、リサーチ手法の活動としての性質を参考にする方が適切でしょう。
その種別とは、プル型とプッシュ型という分け方です。
戦略的な情報収集を
歩留まりを無くす
UXリサーチは収集した情報をデータとして正規化し、そのデータをもとに様々なアプローチで問題や機会を発見する仕事です。
そのためリサーチの入口は、その出発点である”情報”を収集することです。この数や頻度が不十分だと、せっかくのUXリサーチ能力も歩留まりを起こします。
経済学的・経営学的解釈では、歩留まりを無くすことは戦略行為に当たる重要な検討事項。だからこれから話すことは、UXリサーチの戦略についての話なのです。
プッシュ型とプル型
さて、プッシュ型とプル型についてなんとなく理解を作るために、まずはそれぞれに該当する手法の例を挙げてみましょう。
プッシュ型のUXリサーチ手法例:ユーザーインタビュー, ユーザビリティテスト, エスノグラフィ
プル型のUXリサーチ手法例:(自動的な)フィードバック収集やNPS収集, 行動ログを使った行動観察
プッシュ型のリサーチは、要するに担当のリサーチャーが自ら働きかけたり労力を払うことによって情報を入手することです。良質な一次情報が手に入る確率が高い一方で、ライフサイクルが長くコストが高い特徴があります。
プル型のリサーチはその反対で、仕組みやシステム, ワークフローを構築しさえすれば、以降はリサーチャーが直接的には何もしなくても情報を入手できるようにすることです。
重要なこと
この2つの大別を見た時に重要なのは、プッシュ型の手法に依存しないことです。それも使い分けるというよりは、どちらも常に行われていなければなりません。
プッシュ型のみを行っていると、先述のように歩留まりを起こす蓋然性がありますし、反対にプル型のみを行っていると、現場の解像度が下がり重要なインサイトやジョブを見落とす可能性が高まります。
SaaS企業ならではのプル型リサーチ
アトミックリサーチ
私がUXリサーチをお手伝いしているSTANDS社では、アトミックリサーチという方針をUXリサーチの基礎方針としています。
アトミックリサーチは、2017年, 2018年頃に北米で提唱され始めたUXリサーチの概念およびプラクティスで、一次情報から成るユーザーの諸情報で構築されたリポジトリーとそれを活用したインサイト発掘を基礎としています。3
この方針を十分に遂行・達成するために、STANDS社ではプル型のリサーチをある方法で行っています。それも、SaaS企業ならではの方法で。
セールスとCSという、
SaaS企業に必ず転がっている機会
私たちのやっている“ある方法”とは、商談・ミーティング時の発話の収集と切片化です。
カスタマーサクセスとの協力
UXリサーチの仕事には情報を収集することも含まれるというのは先述した通りですが、そもそもセールスやカスタマーサクセスのいる会社では、専門的なリサーチ活動を始める前から、潤沢な発話データが存在していますよね。
それは、営業による商談と、カスタマーサクセスによるミーティングです。
特にカスタマーサクセスとのミーティングは顧客からの要望や不満が会話に登場することも少なくなく、重要な情報源です。
開発者もしくは分析者であるUXリサーチャーは、商談やカスタマーサクセスといった形で顧客と話すことは少なく、これら一次情報はUXリサーチャーだけでは取り逃しがちです。
これらの回答として私たちが行っているのは、端的に言えば録画ソリューションを媒介としたカスタマーサクセスとの連携です。
STANDS社では、セールス・CSの協力を仰ぎこれらのミーティングを極力録画してもらっています。その録画データを共有してもらい、DovetailというUXリサーチツールへインポートし管理しています。
ここで注目すべき点は、セールスもカスタマーサクセスも、リサーチャーが何もしなくても必ず継続的に行われることです。それを上手く拾い上げることで、リサーチャーが収集のために労力を捻出する必要性が無くなるのです。
例えばCSから情報をヒアリングするような手間や、基礎的な顧客の要望をわざわざアンケートで拾い上げる手間がリプレイスされます。
モダンなカスタマーサクセスであれば課題の深堀りも行っていることもありますから、部分的にユーザーインタビューやユーザビリティテストもリプレイスされます。
より効率的にUXリサーチが進むというわけです。
私たちのこのワークフローでは、UXリサーチ活動のための多くの材料を収集できています(そしてそれをプロダクト開発に活かすことも!)。
今では材料が集まってくる速度が早すぎて、分析したりインサイトを発掘する速度の方が遅れがちなほどです。
プロダクトを重視する文化
私たちはこれによってUXリサーチの効率化を達成していますが、これが可能なのは、SaaS企業ならではです。
なぜなら、SaaS企業には会社としてもCSとしてもプロダクトへの貢献意欲が高い傾向があるからです。4
SaaS企業にとって営業やCSは短期的なプロフィットセンターでありつつも、戦略的にはプロダクトの良し悪しが収益性と成長性に主に寄与します。この点で、顧客との接触を単なる営業として行う企業とSaaS企業ではカスタマーサクセスの役割も態度も異なっています。
STANDS社はまさにこのような会社で、よく協力してくれています。そうでない企業では力学的にセールスの協力をなかなか得られず、遂行するのが難しいことがよくあります。
SaaS各社においては、UXリサーチについてこの利点を活かさない手はありません。
目指していること
このチームにおいては、アトミックリサーチによって達成したい状態が目標として存在します。
それは、録画やその切片、そこから導いた仮説に基づいたアイデア創出, 機会発見, 意思決定を誰もが行うことができる状態です。
UXリサーチャーがいなければ分析できない状態や、ある1人のリサーチャーがいなければ問題発見能力が落ちる状態は、戦略的とは言えません。
だから究極的には、UXリサーチャーを不要にするため、自分をクビにするために仕事しています。
思想の経緯
アトミックリサーチの思想には共感するところが多くあります。
私自身、上場企業からスタートアップまで、UXリサーチチームや体制を作るお仕事を担当することが数度ありました。
その中で同じような調査を何度も繰り返すことや、過去のリサーチの学びを探したり活かしたりするのが難しいことが何度もあったのです。
この状態では各リサーチ活動は拡大再生産的に活用できず、その場限りで消費され生産性の低い活動となってしまいます。周囲にその有用性が伝達する機会も、1回のリサーチにつき1回限りです。これはUXリサーチの戦略に問題がある状態と言わざるを得ません。
よくあるUXリサーチの課題感ですが、アトミックリサーチはSingle Source of Truthとリサーチ・リポジトリいう形でこの明確な回答を示しています。
2023年現在、toB SaaSの国内市場規模は1兆円に足りるか足りないかといった程度。国内の他産業と比べ特段大きいわけではなく、世界の同市場の3%程度。
(参考1:SaaS業界 2023年以降の最新トレンドや成長ドライバーを紹介)
(参考2:ソフトウェアビジネス新市場 2022年版)
SaaS企業にとっては当然ながらリサーチの戦略はプロダクトの戦略に比べ小さな事柄ですから、企業というポジションからでは関心を持ちづらいでしょう。
またUXリサーチを受託する企業にとっても、SaaS企業はクライアントの一部でしかありません。SaaS特有という話はあえて発信するほどの内容ではないのかもしれません。契約によっては発信しづらい可能性もあります。
SLGによる成長計画を持つ企業ではその限りではない。